田の草、田んぼの雑草のことですが、
これは普通のお百姓さんはもちろん、有機農家や自然栽培農家から見ても、
お米を育てる上では、邪魔なもの、目の敵にされがちなものですね。
今年も『田の草フォーラム』というマニアックな会に参加してきましたが、
有機農業や自然栽培を10年も20年も続けていった人が共通して言うのは、
田の草と戦う、目の敵にする、っていう感覚じゃなくなってくるって言うんです。
自分など、まだまだ右往左往してしまいますが、言わんとすること、なんとなくわかる気がします。
人間というものは、目の前に起きたコトばかりに目がいって、思い悩み、そのコトがどうして起こっているのか、何を自分に教えようとしてくれているのか、そこまで考えがいたらないことが多くありますが、
田の草も同じで、草が生えすぎてどうにかしなきゃってコトばかりに目がいくと、草が生える原因といったものや、草が教えてくれる土や田んぼの今の状況といったことまで、思いをはせることができません。
『上農、草を見ずして草をとる』
ということわざがあり、
賢い百姓は雑草が生えるメカニズムをよく知っていて、生える前に対処してしまう、あるいは生えない条件を先に整えてしまうという意味ですが、
さらに言えば、昔の本当に賢い百姓は、その観察眼で、草を草として見るだけでなく、その先に見えてくる田んぼ、生きもの、大地全体といったこと、そしてその中に存在する自分、ということにまで意識を及ばしていたに違いありません。
一見、害のあるようなものにも、もっと大きな視野で見れば、
役割があって、必要なものであったり。。何かを教えようとしてくれるものだったり。。
何かを敵としてみなしている間は、見えてこないものがあったり。。
そういう境地にはまだまだ及ばず、日々思い悩みながらなんですが、
『生きているお米』作りを通して、
学ばされることの多さに、びっくりしています。
生きてたくましく発芽するおコメ、を育てたいということも僕らの目指すところですが、
その後ろでは、そこに存在するすべての植物・動物・人といった『生きているものすべての循環』があってはじめて『生きているお米』になっていくんだと思っています。
農法を含め、まだまだ思い描く形に100%近づけてはいないのですが、
ゆっくりとでも前進していき、『生きているお米』を通して、皆さんに少しづつでもお伝えできたらいいなと思っています。
僕らにとっても、冬は根っこを深くはるための季節です。
今日も読んでいただいてありがとうございました。